






紀州を平定した豊臣秀吉が弟の秀長に築城させたのが始まり。1619年に徳川家康の第10男・頼宣(よりのぶ)が入城。以来、水戸・尾張と並び、徳川御三家のひとつとして、長い歴史を刻んできた。天守閣に登れば、和歌山市街が見渡せ、紀ノ川がゆったり流れているのがよくわかる。
営業時間 : 天守閣9:00〜17:30(入場は17:00まで)
引用:和歌山市観光協会発行「わかやまし観光ガイド」




学問の神様・菅原道真を祀り、太宰府天満宮、北野天満宮とともに日本の三菅廟といわれる和歌浦天満宮。本殿は、内外部ともに華麗な極彩色。壁画は狩野・土佐両派の画家によって描かれている。
営業時間 : 6:00~19:00
引用:わかやま観光情報




「まるでアマルフィ。」しかしここは日本、そして和歌山の雑賀崎。和歌山市の南西部に位置する港町。信長から本願寺を追われた教如上人を匿った「鷹の巣洞窟」と呼ばれる断崖絶壁には雑賀崎灯台が立っており、淡路島、四国を一望できる。
引用:漁火の宿 シーサイド観潮




友ヶ島の中でも比較的遺構の内部を見て回ることができる。シンボル的な煉瓦造りの掩蔽部や砲座が残る。地下通路・階段、弾薬庫などには懐中電灯が必需品である。
引用:『紀淡海峡に浮かぶ「友ヶ島」』 松浦光次郎




一般的な散策コースから離れている関係で、訪れる人が少なく静けさを感じる砲台。連絡通路にロータリーのような造りや螺旋階段が設けられており、ほかの砲台と異なる特徴を持つ。
営業時間:8:30~17:30(3月~11月) 8:30~16:30(12月~2月)
引用:『紀淡海峡に浮かぶ「友ヶ島」』 松浦光次郎




ほかの砲台と比べ海岸に築かれているため、風波などによる浸食作用が進んでいる。遺構の周辺には芝生が広がり、青い空や海とともに煉瓦造りの遺構がひときわ映える。
引用:『紀淡海峡に浮かぶ「友ヶ島」』 松浦光次郎




この灯台は「日本の灯台の父」と呼ばれる英国人技師リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計によるもの。夜になると10秒間隔に1回、赤と白の閃光を放つ。
引用:『紀淡海峡に浮かぶ「友ヶ島」』 松浦光次郎




島内で唯一標高の高い所にある展望台。西に、友ヶ島灯台、紀淡海峡をはさみ対岸に淡路島などを望むことができる。北は、八甲田山や須磨、東では天気が良い日には大阪湾を一望できる。
引用:『紀淡海峡に浮かぶ「友ヶ島」』 松浦光次郎




景色が広がり、束の間の休息をとることができる。1951年に発行された友ヶ島の切手には、この小展望台から撮影された風景が採用された。
引用:『紀淡海峡に浮かぶ「友ヶ島」』 松浦光次郎




ヒトモトススキの群生に覆われているこの池は、役の行者が大蛇を封じ込めたという伝説がある。貴重な数多くの植物の宝庫となっている。
引用:『紀淡海峡に浮かぶ「友ヶ島」』 松浦光次郎




かなたに徳島県の山並みや伊島が見えることのある海岸。第二次世界大戦終戦ごろ、この周辺に旧海軍の宿舎等が建っていた。
引用:『紀淡海峡に浮かぶ「友ヶ島」』 松浦光次郎




向かう道中には黒く塗られた石柱があるが、この石柱は探照灯に電気を供給するための電柱である。サーチライトで海面を照らしていたと考えられる。
引用:『紀淡海峡に浮かぶ「友ヶ島」』 松浦光次郎




海中の水中聴音機を伝い、海峡を通る船などのスクリュー音をこの聴音所で聴いていた。天井は防音素材でできているが、戦後に火災にあったともいわれ、室内は無残な状態になっている。
引用:『紀淡海峡に浮かぶ「友ヶ島」』 松浦光次郎




「旬の魚をこだわりの器でおもてなし」楽しませることを楽しみたい。それが銀平のこだわりである。
営業時間 : 11:30~15:00(L.O.14:00) 17:00~23:00(L.O.22:00)
引用:魚匠 銀平本店




山あり、海あり、大地あり、自然の恵みをいっぱい浴びて育てられた温かい人情。その想いを器に込めた一皿、一献を提供する。
営業時間 : 営業時間:11:30~14:00(平日のみ) 17:30~24:00
引用:炭焼菜彩干物飯 紀州のしずく

